宮崎の木について語る時、私達は何をユーザーに伝えれば良いのか。
木が自然のものでありながら歴史の中でどのように社会と関わってきたのか、また現在どのように木を積極的に使おうとしているのか、そして先人達がそうしたように私達が子孫にどのように豊かな森林資源を残すことができるのかと言う、過去・現在・未来という視点を踏まえて考えてみる。
目次
過去一豊かな森から
飫肥地区と耳川流域を中心に県内の多くの森は、木の生育に適した腐食質に富む褐色森林土壌であり、温暖多雨という気象条件にも恵まれ、照葉林帯に育成するタブノキ・シイ・カシ・アカマツを中心に、亜高木・中木・低木、そしてススキで覆われていた。民家にはその地域に自生する木が、適材適所に使われてきた。また昔から豊かな森林に自生する木は、時代の要請に応え日向の山奥から歴史の表舞台へ搬出された。
- 1611年(慶長16年)京都方広寺大仏殿再建肥領亀の河内梁材としてマツ材(長さ14間・約26m)
- 1702年(元禄15年)奈良東大寺大仏殿御用木高鍋領間 マツ大材2本
- 1703年(元禄16年)奈良東大寺大仏殿普請用材霧島白鳥神社 マツ大村2本(長さ13間24m 元口4.1・4.3尺末口3.75・3.37尺)虹梁材
- 1716年~1741年(享保元文年間)江戸城に日向モミ・ツガが使用
- 1757年(宝暦7年)~1786年(天明6年)延岡藩小田家が通算5回、椎葉山十根川筋の用材(松・機・栂・杉・栢・槙・槻)を大阪に出荷
- 1855年(安政2年)江戸大震災に復興材を送付
- 1875年(明治8年)厳島神社の大鳥居再建のため送付(一本)供出長さ16m水際回10m

「方広寺大仏殿諸建物建地割図」


過去から現在
県内で針葉材の杉・桧・松が建築用材として意識されるようになったのは明治以降で、積極的に使われ始めたのは昭和初期からである。

飫肥林業
県南の飫肥林業の始まりは、1592年(文禄年)の朝鮮出兵時まで遡り、ときの飫肥藩は格式向上を目的として林業に力を注ぐが、その販路は飫肥杉の特徴を生かした造船のための弁甲材であった。
飫肥林業を語る時に忘れてはいけない人物として野中金右衛門がいる。29歳の時(寛政8年1796年)に植木方役となり78歳で職を辞するまでの半世紀を造林に尽くしており、現在飫肥杉苗木が全県下に植林される基礎を築いた人物である。
明治に入り国は財源確保を目的に明治15年から森林の国有化を進め、官民林境界調査が都城から始まり、藩所有の山林の多かった県南地区は半分近くが国有林となる。

耳川林業
耳川流域は長らく炭薪、椎茸生産が主であり、現在の木材を主とした林業が盛んになるのは、1932年の耳川沿いの「100万円道路」が開通し入郷の山に肥杉木苗の搬入が始まってからである。県北において忘れてはならないことの一つとして、県南からスタートした官民境界調査に対し自分達の生活の場を守った人々がいた。
明治20年に東臼杵で調査が始まるとき、後に宮崎県議会議長となる小林乾一郎をリーダーとする抜刀隊によって耳川以北での調査が阻止され、県北地域は国有林編入がなされずに民有林が保全される。その後戦後まで続けられた造林でも生活を山に依存していた一部の村人は、杉、檜、松と一緒に短期間で収入となるクヌギを適地適木として植林し後の林業発展へと繋げた。


米良地方
県央ーツ瀬川上流の米良地方は、旧領主菊池則忠公が藩籍奉還のときに、藩有地を民に開放していたため官林設定の紛争は無く、ほとんどが民有林として残された。

商家資料館の裏

「宮崎県会史 第二輯」

西米良村小川民族資料館
拡大造林
明治からスタートした造林による木が山の主要産業となるのは昭和初期からであるが、森林所有者全体に造林の意識が高まるのは、昭和26年の森林法改正により民有林造林10年計画(昭和27~36年度)が策定され、国土保全・林地の生産性向上を目指す積極的造林施策が実施されてからである。さらに昭和32年に民有林造林長期計画(昭和33年度~55年度・1958年~1980年)が策定され、本格的に拡大造林がスタートする。

現在 – 宮崎を代表する飫肥杉について
当初造船に使う弁甲材としてスタートした飫肥杉だが、長い歴史を持つ飫肥林業の取組みにより多種多様な品種が開発されている。県内一円に飫肥杉が普及した由縁は、挿木苗造林方法と運搬手段としての道路整備による。種子からの育成ではなく、挿穂の直挿しを経て、床挿苗植栽を行うことにより優れた苗木が九州山地の奥まで運ばれ豊かな杉林を作り上げた。一時期、外材輸入による国産材価格への影響もあったが、先人により植林された杉が現在伐期を迎えており、樹齢60年以上の材が多く搬出されている。

飫肥杉はアカ系とクロ系


代表的な飫肥杉の品種
- マスギ(マアカ) 材質最優秀でオビスギの代表品種
- アラカワ 上長・肥大成長ともに最も旺盛
- イボアカ 呼吸根の変形「肥前節」船板として粘りがあり船釘の効きも良い
- ヒキヨシノ スギに類似、年輪幅が狭く建築材として最高
- シングロ 腐朽に対して最も耐久力があるが、硬くて加工しにくく色が黒く比重が大きい
- 建築材として、他の適材 トサグロ・クロ・カラッキ・タノアカ
未来 – 今後の取組
中規模・大規模な建築物への木利用
今後ますます大材と長尺材の搬出が可能となる。現在搬出される定尺材(4m・3m)だけではなく、切り出し材の有効活用も模索しなければいけない。全国的な少子化による人口減で住宅需要は減少しているが、住宅以外の建築物の木造化が推進され、中規模・大規模な建築物への木利用の可能性は広がりつつある。現在、飫肥杉は建築用材として様々な所で使われているが、更なる普及を目指し材自体の特徴を活かした使われ方の提案や、今後ますます求められるJAS材(機械等級区分)の安定供給の体制が必要となる。そして半世紀後の子孫に豊かな森を残すためにも、多種多様な優良材の育林を目的にした川上から川下までの関係者間の連携が必要である。

構造材・造作材・仕上材に杉を使用
木を求めて森へ
森で成長する木々は、二酸化炭素を吸収し、大雨時の受け皿として私達の生活に不可な存在であり、地球規模の環境保全にも大きな役割を果たしている。「みやざき木の推進協議会」関係者への提案として、「なるべく多くのユーザーと建築物を作り出す過程を森から出発し様々な出会いと経験を重ねてみませんか」。

豊かな自然と歴史に育まれてきた「みやざきの森」には
新たな可能性が秘められている
木を求めて森へ行こう
